幕間で必ずトイレに行く

ほぼ自分用メモ

朗読 蒲田行進曲完結編『銀ちゃんが逝く』

かまたちまちま書き溜めていたものをやっとこ投下


つかこうへい没後10年追悼イベント
朗読 蒲田行進曲完結編『銀ちゃんが逝く』

2020年7月10日(金)~12日(日)
【追加公演】2020年7月23日(木・祝)~26日(日)
チケット代7500円
千秋楽配信アリ、ライブ配信3500円

あらすじ:
www.rup.co.jp


大スター・銀ちゃんと、大部屋俳優・ヤスの奇妙な友情?がメインの話と思うんですけど、大部屋俳優の1人や2人殺してでも、いい映画をつくってなんぼ!それこそ粋!という価値観が根強くあり、どこまで誇張してるのかわかりませんが、これぞ昭和の芸能界!って感じでした。ヤスの優しさや銀ちゃんの背負ってるモノ、小夏の思い、たくさん見どころあるの思うのですけど、私はこの演劇に描写される昭和の価値観が単純に恐ろしかったです。

昔読んだ松尾スズキさんのエッセイにて(何冊か読んだのでどれに載ってるか失念してしまいましたが)、「某テレビマンは「ADを3人を廃人にしないと面白いバラエティは作れない」と言って高笑いしていた」というエピソードが書かれていて、それがとても印象に残っていました。今回観劇して、改めてそれを思い出しました。

昭和から平成初期の芸能界において、下っ端の2~3人の人生を潰してでも作品を追求することは「かっこいい」とされていたんだなと感じますよね。
そういう価値観があった時代ですから、今より簡単に弱者は踏みにじられていたこともあるのではないかと思います。「古き良き昭和」と形容されることも多いですが、人権意識の点では令和の方が進化してると思います。

ただ、この物語の登場人物たちは、ガムシャラに生き、限りある「生」を全うしようとしているように感じました。令和に生きる私の目から見ると、昭和の過酷な時代を生きる若者たちに対して、幸せに生きてほしいと強く願わざるを得ません。
私は古い価値観は肯定はしないですけれども、彼らの輝きを描くためには、彼らの生きた時代をそのまま描写することは不可欠なことなのだと感じました。

そんな中、必死に生きる大部屋俳優のヤス。階段落ちの撮影に挑んだ俳優は良くて半身不随、悪けりゃ死ぬ、その代わり1日限りトップスターになれる。銀ちゃんに半ば強引に押し付けられた身重の女優・小夏の出産費用を捻出するために命がけで階段落ちに挑む。

後半で銀ちゃん自身が階段落ちに挑むシーンがあるんですけど、そこで銀ちゃんが「ヤスは命がけで出産費用を稼いだんだ」と熱く語るシーンがとても印象深く、まばゆいほどに心に残ってます。


それとですね

味方良介さん、植田圭輔さん、井上小百合さん、演技うま……


っと思いました。当たり前体操ですね。すいません。

味方さんは何度も木村伝兵衛で見てきてるのでまあ当たり前と言えば当たり前なんですけど、植田圭輔さん、井上小百合さん、演技うま…(上メセ失礼)って改めて思った。私は植田さんを舞台で拝見したのはヘタミュとエーステだけで、もちろんどちらもハマり役で、特にエーステは「えっあれ植ちゃん?」と思うほどではあったんですけど、ウィッグとカラコンもしてたおかげもあるんかなと思ってたんですよね。ちがったんですね。大変失礼しました。今回、全身むき出しでヤスを演じている姿を見て凄みを感じましたし、階段落ちのシーン本当にヤスの覚悟が伝わってきてすごかったです。語彙力皆無。

井上さんも、帝一の國で拝見してて、その時はあんまりメインじゃなかったんですけど、1人で長めに朗読するところで、いや、演技うま……てなりました。語彙力ゼロ。陳腐な表現になりますけど、井上さんが話していると、まるで目の前に情景が浮かぶようでした。本当にそう。めっちゃビビりました。

そんなわけでテレビ局に感じる古い価値観についても思いを馳せてたら、まったく演劇関係なくなったので、別に投稿します。