幕間で必ずトイレに行く

ほぼ自分用メモ

人は幸せになるために生まれてきたのです

ちょっと前に 熱海殺人事件についてのメモを書いたばかりなのですが

kankyakuseki.hateblo.jp

その後すぐにブックオフでつかこうへいさんの書いた本いろいろ買ったんですけど

 

いやこれ正解やんけ

この本のタイトルが正解じゃない??て思っちゃったわ

熱海殺人事件未見の方はこの本を読む前に舞台を観てほしい。先入観なしに。 そして感想が知りたい。でもこれは「蒲田行進曲」に出てくる銀ちゃんのモデルになった人のエピソードらしいので、私も蒲田行進曲を見るにこの本読んでしまったのが残念です。でもめっちゃ読みやすいので秒で読めます。「熱海殺人事件」の金ちゃんとアイちゃんらしき人たちも出てきます。

 

熱海殺人事件についてはこっちも読みました。小説版。 

 

この本の解説で、演劇ジャーナリストの扇田昭彦さんがこう綴っています。

この事件は本当に額面通りに受け取るべきなのか。いや、大山金太郎は果たして本当に殺人犯なのだろうか。いや、そもそも「熱海殺人事件」などという事件が本当に存在したのだろうか。(中略)−−構造的に何重底もなしているこの作品を解く鍵が読者自身に与えられているからには、これ以上の深入りはやめにすべききだろう。

 

コレだ!!!!!!!

 つかこうへい作品を劇場を観る楽しみって、観終わったあとに同行者とああでもないこうでもない、前回はああだった今回はこうだった、今回のキャストだと印象が変わる…などなどなどを鳥貴族あたりで話すのが一番楽しいのだと思う。同行者がいないとツイートするんですけど、その瞬間含めて楽しい。

その気持ちが言語化されているようで驚いた。上で「正解!」って書いちゃってるけど、正解なんかないんだろうなあと思う。月並みな言葉なんですけど演出家によって正解が変わるし、観客の数だけ正解がある。それが楽しい。熱海殺人事件で何を言いたいのか、受け取る人によって解釈が違うのも良いと思うというかそれがアリなんだろうな。それが楽しい。喧々諤々と発泡酒を煽りながら今回の金ちゃんはひどい男だったぜ、とか 今回は貧困じゃなくて男女の愛が全面に出てたねとか、キャストによって受ける印象が変わるねとかそういうのを話すのが楽しい。

 

同行者と全然違う印象を持ったりするのも楽しい。その個人差を許容してくれるのがつかこうへい作品なのだと思う。

 

この個人差を許容してくれるのは何なのか。

先の「人は幸せになるために生まれてきたのです」は、つかこうへいさんが娘に語りかける口調で紡がれています。その中で生粋のホモに生まれて肩身の狭い思いをした”戸田君”に「売春捜査官」とでホモの役を演じさせたエピソードが書いてありました。

パパは戸田君のような弱い人や、いじめられっ子のような弱い者の味方になるようなお芝居を作っていこうと固く心に誓ったのです。

 

この一節を読んだ時、つかこうへい作品が包容力に満ちている理由が少しわかったような気がしました。

 

個人的にはまた新・幕末純情伝がみたいなぁと思っております。コロナが早く収束することを祈ります。